数学と論理学 第一章 数学に於ける変数と現代論理学 1°恒等式と方程式  本章では、数学に於ける変数の役割を考察する。変数が先ず登場 するのは恒等式と方程式である。  恒等式とは a+b=b+a のようなものである。これが主張する所の現代論理学による解釈は、 これの全称閉包 ∀ab. a+b=b+a である。現代論理学では、この a や b は、等式の段階では自由変 数であり、主張の段階では全称束縛されている。等式が定理である ことと全称閉包が定理であることとは同値である。これは、自由変 数を持った式が主張される時、その真意は全称閉包にある、という ように一般化できる。  方程式は一般に 2 x -x=0 、解 x=0, x=1 のようなものであり、ここで変数は求根の対象である。現代論理学 では、x を自由変数として持つ等式 P(x) が与えられた時に、x が 現れない項 t1、t2、… であって次を充たすようなものを求める問 題、ということになる。 ∀x. P(x) ⊃⊂ x=t1 v x=t2 v … 即ち全体としてはこの変数 x は全称束縛されている。  恒等式にせよ、方程式にせよ、これを敢えて変数と呼ぶ程のもの ではない。恒等式では単に文字と呼べばよく、方程式では単に未知 数と呼べばよい。 2°図形  変数はまた、図形の表現に際して登場する。 y=2x+2 は直線であり、 2 2 x +y =9 は円である。ここでの変数は座標変数などど呼ばれる。  現代論理学では、これは束縛変数となる。即ち、ラムダ記法を使 うならばそれぞれ 2 2 λxy. y=2x+2 、λxy. x +y =9 であり、集合論的表記を使うならば 2 2 {(x,y)|y=2x+2} 、{(x,y)|x +y =9} となる。  媒介変数もまた、図形の表現の際に登場する。 x=t-1, y=2t x=3 cos t, y=3 sin t これらは同じ図形を表す。この媒介変数は、現代論理学では特称束 縛された変数である。即ちこれが表す図形は λxy. ∃t. x=t-1 & y=2t λxy. ∃t. x=3 cos t & y=3 sin t となる。  ここで特筆に価することは、変数の役割と変数名とが分離されて いないことである。現代論理学では束縛変数の名前には意味が無い。 一方、数学の日常的語法では、x と y は変数名であると同時に座 標軸の名前である。 3°定数  図形を表す式に於いて、現代論理学で解釈した際に束縛されない ものは、数学に於いては屡々定数と呼ばれる。例えば直線を表す方 程式 ax+by=1 は現代論理学では λxy. ax+by=1 と解釈される。ここで定数 a と b は現代論理学では自由変数と呼 ばれる。  現代論理学に飜訳する際に自由変数とるか束縛変数となるかは重 要な点である。この定数は図形を記述する場面では束縛変数にはな らないが、最終的には束縛変数に飜訳されることもある。 2 2 「直線 ax+by=1 と原点との距離は√(1/a) +(1/b) 」 という公式では定数 a と b は全称閉包を採る際に全称束縛される。 また、 2 「放物線 y=x +2ax+a はx軸と只一点のみを共有する。 a は何か。解:a=0, a=1 」 という問題では、曲線とx軸との共有点を求める段階で定数 a が 束縛変数となることはない。しかし、共有点が只一点であることの 条件となる方程式 2 a -a=0 を解く段階では、先述のようにこの a は束縛変数に飜訳される。 4°函数  独立変数、従属変数の概念は函数と伴に登場する。この函数を表 す為の変数の使用こそ、現代論理学との比較に於いて、その違いが 最も顕著である。  一次函数の記述としてこのようなものが登場する。 y=2x+2 (*) これは λxy. y=2x+2 (**) という二項関係を表す一方でまた、 λx. 2x+2 (***) という函数を表すものとして登場する。式 (**) は式 (*) から函 数抽象をして作ったものだが、式 (***) はどのような操作によっ て得られるのだろうか。  ι記法を使うならば、まず式 (*) はこのように解釈される。 ιf. ∀xy. y=f(x) ⊃⊂ y=2x+2 (****) この式 (****) と式 (***) との同一性は一見して明らかではない が、論理結合子の規則、束縛子の規則、数学の計算の理論などによ って証明される。  式 (****) の「⊃⊂」の左辺で函数の返り値と等しくなる y が 従属変数と呼ばれ、函数の引数となる x が独立変数と呼ばれる。 即ち式 (*) に於いて独立変数 x はラムダ束縛される変数として働 く。関数型プログラミング言語で云うならば仮引数である。  独立変数 x は、単にラムダ束縛される変数であるだけなのでは ない。 「 y=2x+2 の x=1 の時の値は y=4 である。」 この例文は単に y=2x+2 ⊃ x=1 ⊃ y=4 のみを言っているのではない。式 (*) が表す式 (***) の函数を引 数 1 に適用することをも意味している。そして y=4 はその計算結 果である。独立変数は代入を引き受けている。この代入を引き受け るという機能は現代論理学では自由変数に特有の機能である。  手続型プログラミング言語の言葉を借りるならば、独立変数はサ ブルーチンの入力用プログラム変数であり、従属変数は出力用のプ ログラム変数である。  以上のように、独立変数は、函数抽象の際にラムダ束縛される変 数、という機能と、それへの代入が函数の引数への適用を意味する ような自由変数、という機能があり、その両方をを同時に果たすと いう特徴がある。このような両面的機能は、現代論理学の変数には 備わっていない。 5°微分  数学に於ける独立変数の両面性は微分の記法に於いて更に顕著で ある。  例えば 2 d(x +2x) -------- = 2x+2 dx であり、この式の x=1 の時の値は4である。2x+2 の x=1 の時の 値を求めるには単に x に1を代入すれば足りるが、微分の記法 2 d(x +2x) -------- dx の中の x に1を代入することは出来ない。ここで d/dx は一種の 束縛子であり、x を束縛していると見做される。しかしとは云え、 現代論理学の束縛変数のように変数の名前替えをすることは出来な い。独立変数 x に対する函数であることを表しているからである。  この微分の記法を現代論理学によって記述するにはどうするか。 D-加群の文献などでは、函数に対する微分の操作を D と書くこと がある。この記号を援用する。それによるとこの微分の記法は 2 D(λx. x +2x)(x) と書かれる。ラムダ記法によって書かれた項は函数自体を表す。こ の中の x はラムダ束縛されているので、変数の名前替えが出来る。 一方で、右端の x は自由変数であり、代入を受ける。独立変数の 両面性がここでは丁度分離されている。  微分の記法を使う際には 2 d(x +2x) -------- の x=1 の時の値 dx と言う代わりに 2 d(x +2x) | -------- | dx |x=1 と書くことがたまにある。ここに至って漸く変数 x は自由変数の 役を解かれて純然たる束縛変数となる。 6°数学的帰納法  数学的帰納法とは以下のような推論の図式である。 「 1. P(1) が成り立つ。 2. 正整数 k に対して、P(k) を仮定したならば P(k+1) が成り 立つ。  この時、任意の正整数 n に対して P(n) が成り立つ。」  現代論理学では、変数は k も n も全称束縛されているのである から、変数名は何でもよく、同じ変数名でもよい。実際に、現代論 理学では数学的帰納法はこのように書かれたりもする。 P(1)⊃(∀x. P(x)⊃P(x+1))⊃∀x. P(x) しかし、量化記号を使わない前者の表現では、k と n は異なる変 数名でなければならない。  上記図式の中で全称量化の効果を発生させているのは、第二項で の推論を梱包し、その議論の中でしか登場しない変数に関して全称 閉包を取る、という操作である。このような表現では束縛の射程は 変数の出現によって制御されるので、第二項に隣接した外部で変数 k と同じ変数名のものが登場してはならないのである。  このように、全称量化の概念を明示的に使わなくとも、推論の梱 包によって数学的帰納法は記述できる。この発想は、竹内外史が屡 々用いる数学的帰納法の図式にも反映している。 Γ, P(x) ⇒ P(x+1) ------------------ 但し「Γ, P(0)」に x は現れない Γ, P(0) ⇒ P(t) これは 0 から始まる数学的帰納法の図式であり、先述のように 1 から始まるものではない。それはともかく、ここには量化子は現れ ていない。一方で変数の射程範囲は明示されているので、近隣に x が現れてはいけないということはない。即ち t の中に x は現れる かも知れない。 7°収束  高等数学には連続や収束などの位相幾何の概念が登場する。ここ では現代論理学に云う量化が不可欠となる。所謂εδ論法である。 ここでは収束に関する例文を視よう。 「 f(x) が x→∞で a に収束するとは、  任意の少数ε>0 に対して、ある L があって、  x > L ならば | f(x)-a | < εとなることを云う」 この二行目、三行目は三重量化をしており、現代論理学の量化の概 念を用いずに記述することは困難である。この三行目の x は一番 内側で全称量化された変数である。一方で、一行目の x は依然と して独立変数であり、現代論理学には無い変数の用法である。 8°考察  本稿では数学に登場する様々な変数の様態を考察した。その考察 の手段として現代論理学との比較を行なった。そして、数学での変 数の用法は現代論理学とは全く異なることを示した。  これを、現代論理学が純正な変数の用法をしていて日常言語での 数学は不正確な略記法をしているのだ、と視るのは間違っていて、 真相は逆である。数学が現代論理学の束縛変数の用法を用いるのは、 それを使うのが便利な時に限って使っているに過ぎないことが観察 される。凡そ言語の基本的用法という限りは、日常での用法こそが 基本的用法でなければならない。数学にとって現代論理学の変数の 用法は一種特異な道具なのである。  本論中で独立変数の両面性と言ったが、これは飽くまで現代論理 学から視た言葉であり、数学にとっては独立変数は独立変数でしか ない。 第二章 数学の哲学と論理学 9°二つの論点  前章のように、数学の言語は述語論理とは異なる。  ここで数学と述語論理との関係について二点想い起こす必要があ る。一つには、数学の定理と証明は完全に述語論理で記述できる、 という点であり、そしてもう一つには、数学の活動であって述語論 理では記述されない何かがある、という点である。 10°数学から述語論理への飜訳  まず一つ目の点から観る。数学の定理と証明は完全に述語論理で 記述できる。喩え独立変数や従属変数が述語論理に無いとは言え、 独立変数や従属変数を追加した形式的体系を作ることは、何か他の 工学的意図が無い限りは、その価値は無い。独立変数や従属変数は 述語論理への飜訳が完全に可能であるからである。ここで問題が一 つ提起される。この飜訳とは一体、何をしていることになっている のであろうか。  述語論理に於ける変数には解明しなければならない点が多く残っ ている。例えば一つには束縛変数の名前替えの問題であり、あるい はまた自由変数への代入の問題である。従って哲学者ならざる論理 学者は今後も変数の問題を研究し続けることとなる。  しかしその一方で、論理学者ならざる哲学者が数学の哲学を言う 際には、数学から述語論理への飜訳とは一体如何なるものであるか について論ずるものなのであろう。 11°飜訳されざる数学  次の点を観る。数学の活動は定理と証明のみではない。例えば数 学者の間では、二つの定理を比べてこちらが強いこちらが弱い、等 と言うことがよくある。  具体的な例で言うならば、三角函数の加法定理と倍角公式とでは 加法定理の方が強いと言われたりする。加法定理 sin (x+y) = sin x cos y + cos x sin y の y に x を代入すれば、倍角公式 sin 2x = 2 sin x cos x が得られる。  一般に、二つの定理を比べてこちらが強いこちらが弱い、という 判断に対して、相関論理等の非古典論理や限定算術、限定された分 出置換公理といった弱い論理によって説明することがある。しかし それは本質ではないように思える。そうではなく、片方の定理の証 明の中の議論がもう片方の定理の証明の中の議論を含んでいること を以って、定理が強い、弱いと言われるのではなかろうか。  とは言え、ある議論が他の議論を含むとはどういうこのなのか。 そもそも、証明の中の議論とは何者であるのか、未だ明らかではな い。証明は述語論理に飜訳されて形式化されているが、議論なるも のは形式化されるのであろうか。もしかしたら将来それは形式化さ れるのかも知れない。しかし少なくとも現在は形式化されていない。 そしてこの議論なるものこそが、数学の本質なのであろう。  先述の問題を換言するならば、述語論理で語られない数学である にも拘らず、定理と証明のみは完全に述語論理への翻訳が可能なの は何故なのであろうか。そしてまた一方で、もう一つもっと大きな 問題が残された。即ち、数学とは一体何なのであろうか。 謝辞  本稿は2005年の日本科学哲学会大会での岡本賢吾氏との共同発表 が基になっている。岡本賢吾氏、及び会場で議論に応じて戴いた出 席者の方々に感謝したい。