様相論理の文脈意味論                   2002年11月9日 竹内 泉 ■様相論理の意味論  様相論理の意味論には、可能世界意味論がよく知られている。現 在、様相論理は様々な応用がある。伝統的な様相である必然に始ま って、例えば時間、信念、知識、等々がある。その殆ど全ての応用 現場に於いて、可能世界意味論は強力な道具として論理の研究に寄 与している。[註1]  しかしながら、幾つかの場面に於いては、可能世界意味論は厄介 な道具となる。特に様相述語論理では、可能世界意味論は必ず貫世 界同定の問題を惹き起こす。これは時に数学的に非常に難解な問題 を誘引する。[註2]その問題は、それ自体は数学としては非常に 価値のある問題であったとしても、目標である論理の研究にとって 本質的であるかどうかは不明である。このような場合には、可能世 界意味論は左程有益とは言えない。  本研究では、そのような反省に立って、新しい意味論を提案し、 文脈意味論と名付ける。これは様相記号が論理的妥当性を表すよう な様相述語論理に対する意味論であり、論理式を有限的な情報によ って意味付けするという点で可能世界意味論とは大きく異なる。  本研究の目的は、可能世界意味論の全ての機能に於いて代用とな る意味論を提案しようとするものではない。少なくとも幾つかの様 相論理の応用場面では、可能世界意味論はさして本質的でもなく便 利でもない。本研究で提案する文脈意味論はそのような場面に於い て有用であろうと思われる。 ■厳密含意と必然性様相  基本的な論理結合子「ならば」の古典論理に於ける意味は、周知 の通り「先件が成り立ち後件が成り立たないということはない」で ある。この意味での含意は実質含意と呼ばれる。それに対し、実質 含意以外にも含意の意味があるということは様々な観点から既に再 三議論されている。[註3]ここでは実質含意以外の含意のことを 伝統に従って厳密含意と呼ぶ。ここでいう厳密含意とは、単に実質 含意ではない、というだけのことである。この名前は単に名前だけ のものであって、厳密とは何か、如何にあるべきか、という問いに 答えるものではない。実質含意でない様々な含意を全て厳密含意と 呼ぼうということである。  論理的帰結を表す厳密含意を記号論理によって分析するに当たり、 ここでは、様相記号を導入し、厳密含意を様相付きの含意によって 表現することにする。[註4]即ち実質含意を「p⊃q」と書き、厳 密含意を「□(p⊃q)」と書く。ここで伝統に従って、この様相記号 を必然性と呼ぶ。これもまたこの記号「□」に付けられた伝統的な 名前であって、この記号が必然性を表すことを意味するものではな い。  厳密含意にせよ、必然性様相にせよ、単に記号の名前であり、こ れは伝統に従っているのであって、この名称が妥当であると主張す るものではない。  さて、厳密含意を分析するに当たり、厳密含意の論理記号を導入 するのではなく、必然性様相の論理記号を導入することについては、 検討を要する。ある種の粗い意味では、この両者は同等になる。少 なくとも、可能世界意味論との比較をする上では十分である。厳密 含意を固有の記号で表現するともっと細かい分析が出来るかも知れ ない。その上で、本研究では、厳密含意を様相記号で表現するとい う方針を採用する。そして、これによってどの程度のこと迄が出来 るのかを議論していきたい。 ■反実文の中の含意  例えば運動会の朝に雨に気付いた子は (1)「晴れていれば運動会だったのに。」 と言うかも知れない。この文は基本的には、運動会を楽しみにして いた、雨が恨めしい、という感情を表現するものである。しかしそ ればかりではなく、確かに何某かの論理性をも含んでいる。即ち、 (2)「もし仮に今日晴れていれば今日は運動会であった。     しかし今日晴れではなく、そして今日運動会は無い。」 というものである。これは更に分解するならば (3)「今日晴れならば今日運動会が有る。」 (4)「今日晴れではない。」 (5)「今日運動会は無い。」 という三条の連言ということになる。  この(3)の「ならば」を実質含意と解釈することは出来ない。 もしこれが実質含意ならば、(4)はこの仮言命題を含意すること になる。しかしこの子は雨の日に毎日この様なことを言ったりはし ないだろう。であるならば、(3)に現れた「ならば」は一体何者 か、ということが問題になる。  本研究では、この「ならば」の論理学的解釈を目標とする。即ち、 本研究の目的は(1)の文から如何にして(3)が得られるか、ま たそれは何故か、ということではない。そのような、日常言語の文 章から論理性を洗い出すのは言語学の範疇であろう。本研究の目的 は言語学ではなくて論理学である。即ち、言語学によって洗い出さ れた結果、仮言命題(3)の中に現れた「ならば」の、その論理的 意味を明かにしたいというものである。 ■含意と普遍量化  命題(3)の「ならば」を考えるに当たって、同様に日常言語の 条件文から採り出された論理形式を参考にするのは有用である。  命題論理では『(p⊃q) v (q⊃p)』は恒真であるが、 (6)「晴れならば休日であるか、休日ならば晴れであるか、の     どちらかである。」 という文章は常に成り立つ訳ではない。このことを説明するには実 は古典論理で十分であって、直観主義論理や相関論理その他の弱い 論理の厳密含意を持ち出してくる必要はない。ここでの問題は言語 に於いて明示されていない普遍量化を忘れていることにある。例文 (6)にある論理型式を正しく述語論理で書けば  『(x)( 日(x)⊃晴(x)⊃休(x) ) v (x)( 日(x)⊃休(x)⊃晴(x) )』 となり、確かにこれは古典述語論理で恒真ではない。  日常言語の「ならば」の論理的な意味は、このように、常に『⊃』 なのではなく、屡々『(x)( X(x)⊃…⊃…)』という暗黙の量化を含 んでいる。[註5] ■帰納的知識の中の含意  量化には、何でも代入できる、という意味の他に、周囲の文脈か ら情報を遮蔽する、という機能がある。例えば二人でとある温泉に 旅行したとしよう。夕方に新聞を求め、次の様な会話があったとす る。 (7)(7−1)「あれ、夕刊が無いね。」    (7−2)「田舎には夕刊が無いんだよ。」  前者は今ここに夕刊が無い、という目前の体験を言っているのに たいし、後者は一般に地方では、という帰納的に得られた知識を主 張している。(7−2)の文に含まれる論理性を書き出してみると (8)「場所Xが田舎ならば場所Xには夕刊は無い。」 となる。ここには場所を表す暗黙の変数Xがある。場所を表す暗黙 の変数Xには、通常は、文脈が用意した場所が代入される。例文 (7−1)では《ここ》が代入されていた。しかし命題(8)では、 暗黙の量化によって、文脈が場所として用意している情報《ここ》 が遮蔽されている。 ■規範文の中の含意  本研究の目的は日常言語によって語られる論理であって日常言語 の解釈ではない。  ここで云う〈日常言語によって語られる論理〉とは、嘗ての数学 基礎論に於いて語られていた論理と対比したものである。数学の基 礎付けの為に使われた論理は古典論理であるが、数学者が数学を実 践する際に使う自然言語によって語られている論理は、古典論理で はない。〈日常言語によって語られる論理〉は、実は日常の言語の 使用では稀にしか現れない。論理が頻繁に現れる日常言語の使用は、 あたかも高等数学の講義か法廷劇の台詞のようなものになるだろう。  例えばある判決の説明として次のようなものがあったとしよう。 (9)(9−1)彼は斯く斯くの罪を犯した。    (9−2)彼が斯く斯くの罪を犯したならば、         彼を此れ此れの罰に処せられる。    故に、    (9−3)彼を此れ此れの罰に処せられる。  これは簡単至極な三段論法の例である。これがある判決の説明と して為されたならば、この大前提(9−2)は実質含意としては解 釈され得ない。即ち、(9−2)の先件は(9−1)そのものなの であるが、(9−2)の妥当性は(9−1)の妥当性とは全く独立 に検討されるものだからである。 ■情報の遮蔽  先の例文(3)、(8)、(9−2)の、実質含意との違いを検 討しよう。  例文(1)を言った子は、偽を仮定すれば何でも正しいから「晴 れていれば」と言ったのではない。また、運動会の本質やその他の 形而上学的な議論に言及したのではない。昨日までの学校での体験 から、「学校の行事予定では今日は運動会である」と結論し、その ことを語ったのである。その際、今朝の天気を看て雨が降っている という情報は、命題(4)及び(5)には関与しているが、命題 (3)の解釈には関与していない。  他の例文についても同様である。命題(8)では、場所を表す暗 黙の変数の値が《ここ》であること、即ち「X=《ここ》」という 情報を遮蔽していた。また、例文(9−2)では、被告人が罪を犯 したという事実認定の情報を遮蔽し、法解釈に限って妥当性の検討 を行なっていた。  暗黙の変数の値にせよ、状況にせよ、文脈から供給される情報で あることには違いない。「ならば」の暗黙の機能は、単なる変数の 量化なのではなく、情報の遮蔽であると考えられる。 ■論理的帰結を表す厳密含意  このように、日常言語によって何某かの論理を語る際には、既に 得ている情報の内、使う仮定を幾つかに制限して、その許での論理 推論を語ることがある。  さて、例文(1)は反実文であり、命題(8)は帰納的知識であ り、例文(9−2)は規範文であった。反実文、帰納的知識、規範 文にはそれぞれ個別に議論しなければならない論点が多くある。し かし、この情報の遮蔽という機能は「ならば」に固有の機能なので あって、それを反実文、帰納的知識、規範文の特性に帰着させよう とすることは、論理の本質を見誤ったものであろう。  例文(3)、(8)、(9−2)の厳密含意は、ある制限された 仮定の許での論理的帰結を表す含意である。それを必然性の様相記 号で表現するならば、その必然性記号の意味は形而上学的な必然性 ではなく、論理的に結論されるかどうかを表す論理的妥当性の様相 である。 ■可能世界の理論  可能世界解釈では、厳密含意もまた暗黙の量化によって説明され る。可能世界解釈では、述語には皆、「世界wでは」という暗黙の 補語があり、普通には《この世界》が代入されている。S5の必然 性の記号□は『(w)(W(w)⊃…)』と解釈される。厳密含意とは、 「ならば」によって世界を表す変数が暗黙裡に量化されて 『(w)(W(w)⊃…⊃…)』となったもの、ということである。『W( )』 は、S5論理に対する解釈では「…はある可能世界である。」とい う意味だが、一般には「…はこの世界から到達可能なある可能世界 である。」という意味になる。  先の例文(3)では、子供は今日の自分の学校での話をしている のだから、時間も場所も量化されていない。ここでは世界が量化さ れている。但し「全ての可能世界で」とするのは妥当ではない。運 動会の予定日がその日ではないような可能世界もあることだろう。 「昨日までの状況が全て同じであるような可能世界では」という暗 黙の仮定がここにはある。これは虫のいい仮定であると言えよう。 即ち、ここでは、発話者が恣意的に到達可能性を設定しているので ある。 ■可能世界と極大無矛盾集合  可能世界解釈では、必然性記号に「到達可能であるどんな可能世 界でも成り立つ。」という意味を与えた。可能世界は論理式の極大 無矛盾集合によって表現される。つまり必然性付きの命題を語って いる時には、様々な極大無矛盾集合に言及していることになる。 [註6]  しかし果たして、例文(1)を言った子は昨日までの状況が同じ であるような様々な極大無矛盾集合に言及しているのであろうか。 そうではない。単に、昨日までの状況が同じである、ということを 暗黙に仮定し、それ上に今日晴れであるという仮定を追加したに過 ぎない。それをわざわざ極大無矛盾にまで膨らませるのは行き過ぎ であろう。[註7]  様相の解釈に可能世界が重用されるのは、単に技術的な取り扱い が容易であったからに過ぎない。同様に技術的に可能な別の解釈が あるならば、様相論理にとって可能世界解釈は意味論などではなく、 単なる技術上の方便ということになるだろう。 ■文脈意味論の定義  可能世界を持ち出すことなく、情報の遮蔽だけによって様相論理 の解釈を試みる。これを文脈意味論と名付ける。これは古典論理を 基にして必然性を解釈するものであり、古典論理に対する解釈は既 にあることを前提とする。  論理式の構文は述語論理に必然性の様相記号「□」を加えたもの とする。論理記号は連言「&」、否定「¬」、普遍量化「( )」、必 然性「□」に限る。他の論理演算は    p⊃q :≡¬(p&¬q)、 p∨q :≡¬((¬p)&¬q)、    (Ex)p :≡¬(x)¬p、  ◇p :≡¬□¬p と表現する。[註8]  様相記号を含まない論理式を古典論理の論理式と呼ぶ。古典論理 の論理式が否定・連言・普遍量化に関する推論で証明可能な場合、 古典論理で証明可能と呼ぶ。古典論理の論理式が無矛盾であるとは、 古典論理で矛盾が証明できないことを云う。  解釈は文脈によって為される。透過文脈は、古典論理の論理式の 列であって、無矛盾であるものである。不透過文脈もまた、古典論 理の論理式の列であって、無矛盾であるものである。どちらも、空 列であってもよい。文脈とは、透過文脈と不透過文脈の組であって、 全体として無矛盾であるものである。  論理式の意味は、論理式の評価函数『 |= 』によって定まる。こ の評価函数『 |= 』を定義する。    『 c1, …, ci; d1, …, dj |= p 』 と書いて、「文脈〈c1, …, ci; d1, …, dj〉の許で p は真」と 読む。この時、〈c1, …, ci〉は透過文脈であり、〈d1, …, dj〉 は不透過文脈であり、p は論理式である。 i や j は0でもよい。 則ち、『 ; 』の前または後が空列であってもよい。    『 c1, …, ci; d1, …, dj |= p 』 の意味は p の構成に沿って定義される。以下に、C によって透過 文脈を表し、D によって不透過文脈を表す。  ・原子論理式 a に対して『 C; D |= a 』とは、    古典論理で『 C, D |- a 』が証明可能ということである。  ・『 C; D |= p & q 』とは、    『 C; D |= p 』かつ『 C; D |= q 』のことである。  ・『 C; D |= (x) p(x) 』とは、    任意の項 t に対して『 C; D |= p(t) 』が成り立つことである。  ・『 C; D |= 〜p 』とは、    D' が D を含む任意の文脈〈C; D'〉に於いて、    『 C; D' |= p 』とはならないことである。  ・『 C; D |= □p 』とは、『 C; |= p 』のことである。 無矛盾であるような任意の文脈〈C; D〉に対して『 C; D |= p 』 である時、p は恒真であると云い、『 |= p 』と書く。  文脈〈C; D〉に於ける『□p』の解釈には、透過文脈 C のみを使 って解釈し、不透過文脈 D は使わない。ここがこの解釈の特徴で ある。必然性の判断をする際に、透過文脈は遮蔽されずに様相記号 を透過していき、不透過文脈は遮蔽される。則ち、例文(1)を解 釈する時には、「昨日までの状況」が透過文脈であり、「今日は雨」 が不透過文脈であった。また、例文(7−2)を解釈する時には、 「〈場所〉=〈ここ〉」が不透過文脈であった。  この解釈では、次の定理が成り立つ。 [定理1]文脈意味論は以下の性質を充す。 (1) F が古典命題論理の定理であり、F の命題文字に任意の様相述 語論理の式の代入を施したものが p である時、|= p 。 (2) C; D |= p かつ C; D |= p⊃q ならば C; D |= q 。 (3) C; D |= p&¬p とは決してならない。 [註9]  この『|=』は意味付けと言いつつ、一見して証明可能性のように 視えるかも知れない。古典述語論理の範囲では恒真性と証明可能性 は一致しているので、それで構わない。この意味論は古典論理を対 象としたものではないからである。この意味論の目的は、『□』が 論理的妥当性と解釈されるような様相論理の解釈であった。従って、 『|=』は『□』の内側に入ると『|-』となり、『 C; D |= □p 』 の解釈が『 C |- p 』となるのである。(但し、これは p が古典 論理の論理式の場合。) ■命題論理断片での文脈意味論の性質  命題論理の断片とは量化記号と等号を含まない論理式のことであ る。この範囲では次の定理が成り立つ。 [定理2]文脈意味論は、命題論理の断片に於いては、S5様相に 対し健全かつ完全である。  S5命題論理では、任意の論理式が、古典論理の論理式を一回だ け「□」か「◇」によって様相化したものの連言・選言による結合 と同値になる、ということをこの証明では本質的に使っている。様 相記号が二重にならないような論理式に還元できるということは、 S5論理では様相自体は様相の対象とはならないことの反映である。 即ち文脈解釈では、様相とは議論の態度としてある。ここで、議論 の態度自体は議論の対象とはしていないので、命題論理の範囲では S5と一致する。 ■述語論理での文脈意味論の性質  述語論理全体に対しても、文脈意味論は公理化がある。 [定理3]文脈意味論の公理化は、以下のようなものである。この 公理化は健全かつ完全である。 1. 分離規則: |- p ⊃ q かつ |- p ならば |- q 2. 一般化規則: |- p ならば |- (x)p 3. 必然性規則: |- p ならば |- □p 4. 始式: p が以下の論理式のどれかならば |- p [S5] S5 命題論理の定理の命題文字に任意の様相述語論理の論理式 の代入を施したもの [具体化] ((x)p)⊃p{t/x} 、ここで t は任意の項 [範囲変更] ((x)(p⊃q))⊃(p⊃(x)q)  ここで p に x は自由には現れない [置換] t=u ⊃ p{t/x} ⊃ p{u/x}  ここで t と u は任意の項であり、p に様相記号は現れない [分配] ( (□(Ex)p)&((Ex)q)&((Ex)◇r1)&((Ex)◇r2)&…&(Ex)◇rn )   ⊃ (Ex)(        □(p∨q∨r1∨r2∨…∨rn)&g&(◇r1)&(◇r2)&…&◇rn       )  但し p、q、r1、…、rn に様相記号は現れない  この論理の許で、以下が成り立つ。 [定理4]この論理では、任意の論理式 p に対して、ある論理式 p' があって、p' は古典論理の論理式を一回だけ「□」か「◇」に よって様相化したものを連言・選言によって結合したものであり、 かつ、p と同値である。 [定理5] (1) |= ((x)□p)⊃□(x)p (2) |= (□(Ex)p)⊃(Ex)□p (3) |= (((Ex)◇p)&(Ex)◇q)⊃(Ex)((◇p)&◇q)   但し p と q に様相記号は現れない (4) |= x=y ⊃□x=y とはならない  定理5の (1) は所謂バーカン式である。定理5の (4) は、 『 ; x=y |= x=y 』は成り立つが『 ; x=y |= □x=y』は成り立た ないことから解る。 ■変数を束縛することの意味  この論理に於いて、変数の量化とは一体何をしているのかを視る 必要がある。  評価函数『 |= 』の量化式「 (x)p 」に対する定義は、「任意の 項 t に対して p{t/x} が成り立つ」であった。標準的な古典述語 論理の意味論では、「 (x)p 」の解釈は、「任意の個体 X に対し て、変数 x に個体 X を割り当てるような割当の許で p が成り立 つ」である。即ち、古典論理の意味論では束縛変数に結び付けられ るのが個体であったのに対し、文脈意味論では述語論理の項が代入 されるのである。文脈意味論であっても原子式に対しては古典論理 によって意味付けされているのだが、様相が関与する場面では、束 縛変数は全く個体と結び付く能力が無い。項が代入されるとは即ち、 個体の指示の仕方が代入されるということである。  定理2の (2) を例えば運動会のある競走の例に適用してみよう。    「□(Ex)(競走 a に於いて x は一位)」 というのは、競技の規則た「一位」という語の定義から妥当である。 定理2の (2) によれば、これから    「(Ex)□(競走 a に於いて x は一位)」 が導き出される。この「(Ex)」は、特定の個体を指しているのでは なく、「競走 a で一位だった者」という個体の指示の仕方のこと を言っているのである。  このように、この論理では様相化した文で個体を指示することが 出来ない。即ちこの論理にあるのは言表様相のみであって、事象様 相は無い。  この論理に於ける量化のもう一つの特徴は、定理3にある分配の 規則に現れているのだが、もう少し見易いものは定理5の (4) で ある。これによれば、(Ex)((◇p)&◇q) と ((Ex)◇p)&(Ex)◇q と は論理的に同値である。定理5の (1) によれば、それは (◇(Ex)p)&◇(Ex)q とも同値ということになる。即ち、 (Ex)((◇p)&◇q) のように複数の様相記号の外側から量化したとし ても、実はその量化は個々の様相記号の内側で量化したことに等し いということであり、実質的には様相記号の外側からの量化は不可 能であることを示している。これはクワインの文献「指示と様相」 にある立場に合致したものである。[註10] ■可能世界意味論による他の論理との比較  文脈意味論は可能世界の概念を全く使わないものであったが、そ れによって定義される論理を他の論理と比較するには、可能世界を 使うのが便利である。何故ならば、他の多くの論理は可能世界によ ってその特徴が述べられているからである。  ここで、可能世界意味論の為に幾つかの数学的概念を定義する。  観念指示模型とは、以下を充す四つ組 M=(W,D,I,X) である。 1. W は世界の名前の無限集合である。 2. D={D_w} は、各 w∈W に対して割り当てられた個体領域の集ま りである。各 D_w は1ヶ以上の要素が有る。 3. I={I_w} は、各 w∈W に対して割り当てられた述語の解釈函数 の集まりである。即ち、n 項述語 P に対して I_w(P) は D_w^n の 部分集合であり、それは D_w 上の n 項関係を表す。また、定数記 号 c に対して I_w(c) は D_w の元であり、n 引数の函数記号 f に対して I_w(f) は D_w 上の n 入力函数である。 4. X は D_w の全ての直積の部分集合である。即ち、X の要素ξは w∈W をもらってξ(w)∈D_w を返す函数である。 5. 函数記号 f の作用は I によって自然に X 上に拡張される。即ち、 x∈X に対して函数 f^I(ξ) を次のように定義する。 w∈W に対し f^I(ξ)(w)=I_w(f)(ξ(w))∈W このようにして定義した f^I(ξ) は X の元とは限らない。そこで、 M=(W,D,I,X) に対する条件として、f^I が X 上の函数であること を要請する。即ち、各 ξ∈X に対して f^I(ξ)∈X 。定数記号 c は0引数の函数記号と見做して同様の性質を要請する。  割当とは、論理式の言語の変数 x に対してξ∈X を割り当てる 函数である。  割当ρ、変数 x、X の元ξに対してρ{ξ/x} は次のように定義 される割当である。 ρ{ξ/x}(x)=ξ ρ{ξ/x}(y)=ρ(y)(但し y は x とは違う変数)  解釈 I と割当ρと項 t に対して項の値 [[t]]∈X は以下のよう に定義される。 変数 x に対して [[x]]=ρ(x)定数 c に対して [[c]]=c^I、これは 観念指示模型の定義の 5. によって X に属する函数記号を含む項 f(t1,t2,...,tn) に対して [[f(t1,t2,...,tn)]]=f^I([[t1]],[[t2]],...,[[tn]]) これは観念指示模型の定義の 5. によって X に属する  模型 M=(W,D,I,X)、世界 w∈W、割当ρ、論理式 p に対して関係 (M,w,ρ)|=p は以下のように定義する。この関係が成り立つことを、 (M,w,ρ) の許で p は成り立つと云う。 ・述語 P を含む原子論理式 P(t1,t2,...,tn) に対して  (M,w,ρ)|=P(t1,t2,...,tn) とは、    <[[t1]](w),[[t2]](w),...,[[tn]](w)> ∈ I_w(P)  のことである ・(M,w,ρ)|=¬p とは、(M,w,ρ)|=p が成り立たないことである ・(M,w,ρ)|=p∧q とは、(M,w,ρ)|=p かつ (M,w,ρ)|=q ・(M,w,ρ)|=(x)p とは、任意のξ∈X に対して (M,w,ρ{ξ/x})|=p ・(M,w,ρ)|=□p とは、任意の v∈W に対して (M,v,ρ{ξ/x})|=p  模型 M に対して、任意の世界 w∈W、任意の割当ρで (M,w,ρ)|=p が成り立たつことを M |= p と書く。  観念指示模型 M=(W,D,I,X) が次の条件を充たすならば、M を部 分抽象模型と呼ぶ。 1. w∈W に対して (D_w,I_w) は古典述語論理の模型である。各 w ∈W に対して、(D_v,I_v) が古典述語論理の模型として (D_w,I_w) と同型になるような v∈W が無限に多く存在する。 2. 任意の論理式 p に対して M |= (□(Ex)p)⊃(Ex)□p 3. ξ∈X、w∈W、e∈D_w に対して、次のようなη∈X が存在する。    η(w)=e    η(v)=ξ(v) (v≠w) 更に次の条件を充たすならば、完全抽象模型と呼ぶ。 4. W を定義域とする函数ξに対して次が成り立つならばξ∈X 。     任意の w∈W に対してξ(x)∈D_w  完全抽象模型の定義の中の条件4は条件2と3を含意する。  完全抽象模型の定義から条件1を外したものは、モンタギュー文 法の意味論に於いて用いられている。[註11]  文脈意味論との関係について、次の定理がある。 [定理5]以下は同値である。   ・文脈意味論に於いて |= p となること   ・任意の部分抽象模型に対して M |= p となること  この定理で部分抽象模型とある所を完全抽象模型に置き変えると、 全体の主張は強くなる。この強めた言明の証明はまだ得られていな いが、成り立つことを予想する。  この模型での特徴は、変数はある一ヶの世界のある個体を指示す るのではなく、世界を貫いて各世界に於いて一ヶの個体を通る一本 の繊維を指示することである。そのような繊維は観念と呼ばれるも のであろう。 ■結論  本稿では様相の解釈として文脈意味論を提案した。この意味論の 用途は、論理的帰結を表す厳密含意と、それを表現する為の論理的 妥当性を表す必然性様相の解釈である。この意味論はまず一つには 簡明であり、またそれでいて強力であるように思われる。従って、 この応用対象はもっと拡げられるように思う。例えば知識の論理や 信念の論理である。  しかしこれまで示してきたように、この様相は言表様相であって、 事象様相ではない。因って、形而上学的な必然性の様相には固より 適用できない。形而上学的な必然性の議論には、可能世界のような 形而上学的存在者が登場するのは当然のことなのかも知れない。  本研究では、論理的妥当性のように、素朴な概念だけを相手にす る様相を議論するには、可能世界のような大掛かりな道具ではなく、 もっと素朴な道具で済むことを示した。   謝辞  本稿を作るに当たり、岡本賢吾先生より元原稿に対す るご批評を戴きました。ここに感謝致します。   [註1]飯田隆「言語哲学大全III 意味と様相(下)」第5章『可 能世界意味論』、勁草書房、1995年 [註2]例えば、F. Wolter and M. Zakharyaschev: `Decidable fragments of modal predicate logics', To appear in the Journal of Symbolic Logic. [註3]ヒューズ、クレスウェル著、三浦聰、大濱茂生、春藤修二  訳「様相論理入門」恒星社厚生閣 1981 [註4]同書 [註5]補語の暗黙の量化に関しては、Kamp, Hans 著 『 Condition in DR theory 』, Hoepelman, Jakob Ph. 編 「 Replresentation and Reasonning 」Max Niemeyer Verlag 1988 年所収 66〜173頁 [註6]数学では、「超準」等の言葉によって、極大無矛盾な論理 式の集合では弁別し得ない構造の差異を議論することもある。しか しここではそのような差異には立ち入らない。 [註7]クリプキは、可能世界では実際上は部分的な状況だけを想 定する、と言っているが、そうであるならば理論上も極大無矛盾集 合は必要ない。クリプキ著、八木沢敬、野家啓一訳「名指しと必然 性−様相の形而上学と心身問題−」産業図書出版 1985年、50頁16 行目 [註8]記号はこの文献に依る。レモン著、竹尾治一郎、浅野木酋 英訳「論理学初歩」世界思想社、1973年 [註9]以降、定理の証明は全て次の文献に掲げる。 拙稿 `Systems of logic for necessarity', http://www.is.sci.toho-u.ac.jp/~takelab/takeuti/abs-e.html [註10]クワイン著、飯田隆訳「論理的観点から−論理と哲学をめ ぐる九章−」第八章『指示と様相』1992年 [註11]白井賢一郎「形式意味論入門−言語・論理・認知の世界」 産業図書、1985年